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2012年08月25日

【メモ】チューダー王朝弁護士 シャードレイク

チューダー王朝弁護士シャードレイク (集英社文庫)
チューダー王朝弁護士シャードレイク (集英社文庫)
C・J・サンソム (著), 越前 敏弥 (翻訳)
出版社: 集英社 (2012/8/21)

内容(「BOOK」データベースより)

16世紀イングランド。
国王ヘンリー8世の摂政クロムウェルの命により、弁護士シャードレイクはスカーンシアの修道院で起きた殺人事件の真相究明に向かう。
彼を待ち受けていたのは曲者ぞろいの修道士や修道院の暗い秘密…。
自身を追い詰める劣等感と戦いつつ奔走する彼だったが、やがて自らの信念を揺るがす衝撃の事実が明らかになる。
イギリスで大人気のCWA賞受賞シリーズ待望の第1弾。


ヘンリー8世(Henry VIII, 1491年6月28日 - 1547年1月28日)
テューダー王朝のイングランド王(在位:1509年4月22日 - 1547年1月28日)、
イングランド王ヘンリー7世の次男。

ルターの宗教改革を批判する『七秘蹟の擁護』を著した功で、
教皇レオ10世から「信仰の擁護者」 (Defender of the Faith) の称号を授かるが、
キャサリン・オブ・アラゴンとの「離婚」、
およびアン・ブーリンとの「再婚」を巡る問題から、
レオ10世の二代後の教皇で、従弟にあたるクレメンス7世と対立した。

ちなみに
キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚の直後、
彼女の侍女だったアン・ブーリンと1533年結婚。、
アン・ブーリンとの間に後に処女王と呼ばれるエリザベス1世を儲けるも、1536年離婚。
(離婚後、アン・ブーリンを姦通の罪に問い、処刑)

離婚と同年、アン・ブーリンの侍女だったジェーン・シーモアと結婚。
1537年、ジェーンは世継ぎのエドワード6世を産むも、産褥が元で死亡。

3年後の1540年に、肖像画が凄く美人だったのでアン・オブ・クレーヴズと結婚。
実際に顔を見て、「絵に描いてある女とは違う!」と叫び、
(一応、「アンが前の婚約者との婚約解消を正式に行っていなかった」という理由を付けて)
半年で離婚。

そのすぐ後に、アン・ブーリンの従妹のキャサリン・ハワードと結婚。
当時、ヘンリー8世49才、キャサリン・ハワード19才。
王は若い王妃にベタ惚れだったようだが、
王妃が元恋人と不義密通していると密告する者があり、
その密告を信じた王により、キャサリン・ハワードは結婚1年半後の1542年に反逆罪で処刑される。

翌1543年、キャサリン・パーと結婚。
キャサリン・パーはヘンリー8世と結婚する前に二度結婚しており、
二度とも夫と死別している。
その後、王の二番目の妻のジェーン・シーモアの次兄トマスと交際していたが、
彼女を見初めた王はトマス・シーモア(海軍司令長官)を公務と称して海外へ送り出し、
その赴任中に結婚。ヘンリー8世51才、キャサリン・パー31才。

ところがところが、
結婚から3年後の1547年、ヘンリー8世が55歳で崩御。
三度夫と死に別れたキャサリン・パーは、
無理矢理引き裂かれた感のあるトマス・シーモアと結婚。
冷遇されていたヘンリー8世とアン・ブーリンの間の娘のエリザベスを引き取る。

……んで、
この14才の義理の娘的なポジションのお姫様に対して、
40男の野心家トマスが、
「お姫様と結婚して、彼女を女王にすれば、俺様王配になれるんでね?」
的な権力欲(&ロリコンパワー)で猛アタック。
当然、
妊娠中のキャサリン・パーは激怒するわ、
エリザベスは怒ったキャサリンに追ン出されるわ、
更にキャサリンが産褥で死ぬわ、
トマスと来たらその死を幸いとばかりにまたエリザベスにちょっかいを出すわ、
それがトマスの長兄で時の王・エドワード6世の摂政のエドワード・シーモアの怒りを買うわで、
大騒ぎの「トマス・シーモア事件」つーのが起きるのだが、
それはまた別の話。


トマス・クロムウェル(Thomas Cromwell, 1st Earl of Essex, 1485年 - 1540年7月28日)
エセックス伯。ヘンリー8世の側近。
若い頃からヨーロッパ大陸に渡り、ラテン語・イタリア語・フランス語に堪能となった。
帰国後、トマス・ウルジー枢機卿に仕え、法学を学んだ後、
1523年にはイングランド議会の議員となる。

丁度この頃、ヘンリー8世は最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題の直中。

トマス・クロムウェルは王の離婚したいとの意思を支持。
王の信頼を勝ち得て、宮廷内に入ってやがて王の腹心となる。

1532年には公的な手続きを経ずして閣僚(王室財宝部長官)に、
1533年には大蔵大臣、
1534年には国王秘書、控訴院判事、
1535年には総監督代理と出世を重ねる。

1533年、
イングランド宗教改革の土台となる「上告禁止法」を起草。
これが議会を通過。
同法序文でイングランドは教皇庁から独立した「帝国」であることを宣言。
更に1534年に議会を通過させた「国王至上法」によって、
イングランド国教会はローマ・カトリック教会から離脱。

同年ヘンリー8世は目出度く(?)
キャサリン・オブ・アラゴンと離婚した、
(厳密には「婚姻無効」が成立した)
という次第。

んで。
キャサリンと離婚したヘンリーは、
前述の通り、アン・ブーリンと再婚。
ところが程なくジェーン・シーモアに心移りして、
アンを処刑&ジェーンと再々婚するわけで。

この王様の我が侭を「忠臣」クロムウェルは全面的に支持。

ジェーンの死後は、4人目の王妃様候補を積極的に探す。
そして、見つけ出したのがアン・オブ・クレーヴズだった、と。

1540年、ヘンリー8世とアンは結婚するものの、半年で離婚。
縁組みをしたクロムウェルはヘンリー8世の不興を買う。

するとこれぞ好機とばかりに政敵たちが動き出す。

1540年6月10日、ノーフォーク公トマス・ハワードが
クロムウェルを叛逆罪で告発。
突然逮捕されたクロムウェルはロンドン塔に収監の上、
私権を剥奪される。

同年7月9日、王はアンと離婚。
同月28日、キャサリン・ハワード(トマス・ハワードの姪)と結婚。
同日、クロムウェルは密かに処刑された。

ヘンリー8世は、彼を処刑するに際して、
態と「未熟な執行人」に当たらせ、
十二分な苦痛を与えたとされている。

posted by 主婦と創作発行人 at 22:32| 長野 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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